言葉を文字通りに取る問題

 昨日の記事ですが
「質問してくれない」
という言葉を文字通り受け取り過ぎたのではないかと気づきました。多分
「自分の意に添わないことをした」
と言いたかったのではないでしょうか。
 仕事を教わる
  ↓
 実際やってみる
  ↓
 結果を評価される
という流れの中では、
「教える側の言葉を教わる側が誤って解釈する」
ということが起こりがちです。それは教わる側ばかりの問題ではありません。知り合ったばかりの者同士のコミュニケーションのすれ違いで、定型発達者同士でも起こり得ることです。
 通常教える側の方が立場が上なので、全て教わる側に責任が押しつけられるだけのことです。その証拠に、上司が転勤してきたなどで部下から仕事を教わる場合は、コミュニケーションのずれがあると部下の説明の仕方が悪いという話になります。
 質問して欲しいことがあるなら質問される前に説明すればいい訳ですし、その仕事については教える側の方が詳しいのですから、教わる側が100%悪いと言い切る資格はないはずです。
 ではどうすればいいのでしょうか。まさか教わったことを一言一句確認する訳にもいきません。このデータを入力してと言われ、これは1ですか、これは2ですかなどと聞いていては仕事になりません。
 つまり、放っておくしかないのです。発達障害を隠して働くなら、コミュニケーションの問題は覚悟するべきです。昨日と同じ結論になりますが、これで解雇されるなら私の寿命です。
 あとは上司の人柄に賭けるしかありません。これまでの上司たちの中には、私という人間にどうしても我慢できない人もいれば、かわいがってくれる人もいました。
 今回残念だったのは、上司が私には何も言わず派遣会社の営業に伝えたことです。派遣というシステム上仕方ないのですが、派遣社員としてうまくいっていた職場では、派遣先と派遣元のつながりよりも、派遣先と私のつながりの方が強かったのです。だからこそ、派遣元と派遣先の契約が切れても、派遣先が新しい派遣元を紹介してくれて同じ仕事を続けることができました。
 今のところ、派遣先の上司との絆は弱いものです。相性が悪いのかも知れません。しかし人類の中には、相性が多少悪くても、
「せっかく縁あって一緒に働くことになったのだから」
と考え、受け入れてくれる人も少なからず存在します。そういう人たちに私は生かされ、許されてきたのです。
 人間交差点という漫画の中で厳しい大学教授が教え子に
「私がここまで来れたのは、自分の努力もあるが、周りの大人たちを信じたことが大きい。信じられる大人になりなさい」
と言うシーンがありました。私も信じられる大人になろうと思います。