説教族と生活保護

 毎度のパターンですが、私はフルタイムで働いていて、障害のことも人に言っていないので、障害を理由に配慮をもらったことは1度もありません。なのに8年前、障害を理由に人の手を借りて生きているという人に
「甘えている」
と説教されました。それおかしいでしょう、甘えているのあなたでしょう、私は甘えていないですよ、と主張すると、
「障害ある人が人の手を借りることは正当なことです」
という人が現れて訳わからなくなります。
 だからさ、私が甘えているんだったら実際人の手を借りている人の方が甘えているでしょう、それが悪いという意味ではなく比較の問題で、自分より甘えていない人を甘えていると説教するのはおかしいでしょう、と思うのですが、この辺は定型発達者にはわかりにくいらしく、なぜか私が悪者になってしまいます。
 そこで今回は「障害」を「生活保護」に置き換えて説明してみます。生活保護を受けている人ごめんなさい。生活保護を受けるのが悪いという意味ではなく例えです。
 貧乏で散々がんばってきたけれど生活できなくなり、福祉の話だけでも聞いてみたい、という人に、今実際に生活保護を受けている人が
「福祉の世話になろうというのは甘えだ、まずは自分で努力するべき」
と説教したらおかしいと思いませんか。しかしこういう人いそうです。
「私の方が大変だ」
と思っているのです。
「私が福祉の援助を受けるのは正当なことで、他の人が受けるのは甘え」
なぜこんな発想になるのでしょう。

  1. 自分は特別な人間だと思っている
  2. 甘い汁を吸う人間が増えると自分の取り分が減ると思っている

 結構この2の方はありがちなんではないかと妄想します。4人でケーキを切ろうとしている時に5人目がやって来たら、マイナスの感情が芽生えることは否定できません。
 障害児が自分1人の学校で、周りの協力でうまくやっていたのに、もう1人障害児が転入して来て周りの人がその子にも優しくし始めたら。優しさは有限ではありませんが、
「自分の取り分が減った」
ように感じる人がいても不思議ではありません。そんな人ばかりではないでしょうけれど。自分自身にもそんな感情が全くないとは言えず、自分で書いていてギクリとします。
 説教族の心理にはそんなことも含まれているんではないか、と思いながら、私はまた悪者になっているのではないかと心配です。