訳わからないこと

 訳わからないことの訳わからなさを人に説明しようとすると意外と難しいです。前に訳わからないことの例えとしてブログに
「太平洋が電車の地下室をくるくる回ってシュークリームに開き直った」
と書いたのですが、それですらその図柄を想像できます。
 大学の講義が訳わからない時
「その訳わからなさを説明しろ」
と言われても説明できるのは自分が理解したことだけです。
 それを普通人は知っていて
「大学の講義が訳わからなくてさ」
と言っても、どこがどうわからなかったのかとは聞かないものですが
精神障害者が訳わからないことを言う」
と言うと
「例えばどんなことを言うのですか」
と必ず聞かれます。答えられることは自分が言葉として理解していることです。答えてしまうと一応意味の通ることになってしまいます。
「何だ、大したことないじゃん」
でおしまいです。精神障害者の苦悩も援助者の苦悩も少しも伝わらないことにいらだちます。
 私が訳わからないことの訳わからなさを説明できないのは、言葉として意味の通らないことに対してパニック起こしやすい性質を持っているからかも知れません。定型発達者は訳わからないことは訳わからないこととして情報処理できるのでしょう。
 冒頭のシュークリームの例えは私がブログのコメント欄で
「障害が何だ、という気概が欲しいということです」
という説教を受けてパニック起こした時の訳わからなさを説明しようとして出したものです。しかしこの例えでは意味が伝わってしまって駄目でした。
 補足すると

  • 「何だ」とはどんな現象かわからない
  • 「気概」とは何をすることかわからない
  • 実際の説教はもっと長文なのだが、自分は障害者で人の手を借りて生きている、と書いており、障害を人に明かさずに自活している私がなぜその人にとって障害を盾に取っていることになるのかわからない

 
ということなのですが、これも何年もかけて常連様のお力添えを受けながらブログで分析してやっと理解できたことで、その時はただただパニクるばかりでした。
 訳わからないことを書いてすみません。訳わからないと言っているのにそれを説明しろと言われて、ムシャクシャして書いてしまいました。