発達障害は教育で直るのか

 この記事タイトルに対して自分が何らかの解答を持っている訳ではなくて、考えるためにつけたんですが、結論を書いてしまうと
「直るが限界はある」
ということになるでしょう。こう書くと
「限界を設定するのはよくない。努力すればできることをみすみす不可能にしてしまう」
と説教族が押し寄せてくるんですが、そういう人は東大を首席で卒業してついでにハーバード大学も首席で卒業して火星にロケットを飛ばしてドラえもんを発明したらいいと思います。
 限界を設定することがむしろ限界を超えることに役立つので、その時その時で
「今自分に不可能なこと」
を設定することを私は奨励します。
 私の現在の限界は、ご覧の通り
「極端から極端に走り過ぎな言葉の使い方」
です。ブログを書いているとはっきりしていてわかりやすいと言われるのですが現実世界だと誤解を招く、とこの前職場で注意されました。私はビジネスでは言葉づかいに困らないと思っていたのですが、やはりもっと微妙な言いまわしを心がけないといけないみたいです。微妙な言いまわしと言えば
「気概が欲しいということです」
ですが
「何をすることですか」
と聞いてしまう私には解読不可能です。
 定型発達者はこういう微妙な言い回しで思考しているのでしょうか。この言葉の使い方を変えることは私の思考をめちゃめちゃにします。定型発達者の言葉の意味を私に説明できる人はまれにいますが、私が定型発達者語を使えるようになるように教育できる人はいるんでしょうか。
 さて、幼少期に発達障害と診断され、それなりの教育を受けた世代が社会に出る時期が来たそうです。関係者はこの世代に期待を寄せているようで、それは私も同じです。彼らには限界があるのでしょうか。その答が出る時が、この記事のタイトルに対しても答が出る時です。